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2010年12月

自分たちの家が建つ!?part3

4月6日上棟式と決まった。具体的に、色々進む。お金の事、家財道具の事、建築許可が下りてからどんどん進んでゆく。テルッツも、婦人クリニックに通いながら大変だ。そのやさき、上棟式が20日に延期になってしまった。棟梁が、20日の方が日が良いとの事。その結果、小学校から一緒だったダチの結婚披露宴に出席できなくなってしまった。20日は、慌しかった。朝から式の準備で酒などの手配、柱の建つ様子を見て、家に戻る。そしてまた現場へ。夕方、現場で板を渡し、急ごしらえの食事台を作り、いよいよ乾杯だ。  テルッツの日記。「今日は、上棟式。うれしいなっと!でえくの人が、木遣を謡った。ちょっと感動した。」  基礎だけの時は、小さいなと思ったけれど、柱が組まれると案外大きいんだな。間取図では、想像出来ない立体感、いったいどんな家になるのやら。子供の頃に、茣蓙一畳分のスペースでしかなかったお飯事の世界。これからは、このお家が、二人だけの世界になるんだ。  今だって、テルッツとワシだけの世界だ。  つづく。

Maru-Jan

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お正月フィーバー

平成3年(1991)元日、すき焼き用のお肉(100g2千円)を持って、九十九里へ出かけた・・・・。の、つもりだった。高速に乗って気が付いた、「えらいこっちゃ!お肉、冷蔵庫に入れっぱなしじゃ!」「トシチャーン、忘れてもた。」「戻ろう、戻ろう。まだ、高速乗ったばっかだし。」結局、Uターン。正月は、道路が空いているので時間がかからなかった。夜は楽しくすき焼きパーティー、夜中まで花札、ワシは午前3時までの記憶しかない。二晩泊まる予定だったが、なんとなく調子が悪かったのでその日の午後、帰った。帰り道益々調子わりー。weep 家に着いてテルッツが、熱を測ってくれた。びっくり38.4度。hospital流石地元のお医者さん、お正月にも係らず診てもらった。注射もした。この晩39.7度、3日38.4度、4日37.7度、5日はまた、病院へ行った。ちゃんとテルッツが、記録してあった。6日、漸く普通の生活、明日から仕事。   テルッツの日記。「あしたから仕事だ!やだなー、またテルひとりぼっち。でも、まあーいいか、元気で仕事しているトシチャンが、いいもんねheart01もうお熱ださないでね。テルのおねがいheart01heart01」(原文通り)  1月15日(成人の日)「今日は成人の日でお休み、朝から早起きしてトシチャンがケーキを作ってくれた。とってもおいしかった。半分はお母さんのところにもっていった。(中略)久しぶりにトシチャンの足のうらをいじめてあげた、トシチャンとってもよろこんでいた。よかったsign01本当に本当にありがとっつsign018日おくれのおたんじょうびだけど、なによりもトシチャンの体がよくなって、とってもよかった。元気になったから、ケーキ作ってくれたんだものね、すっごくうれしかったよ。heart01heart01」(原文通り)  テルッツの心の中は、ワシの事ばかり。日記が見つかろうと見つかるまいと、そんな事はずーっと知っていた。ワシだって心の中はテルッツの事ばかり、今までもこれから先も、ワシが将来、背丈程の白木の函に入るまで。

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自分たちの家が建つ!?part2の続き

90年も、押迫り、家の話も煮詰まって来た。10月から度々、打合せを繰返して、12月には具体的な間取も見えて来た。テルッツも言っていた「来年、二人の家が建つ。嬉しいなっと!」 heart04 この頃ワシは、風邪気味でずーと調子悪くて、ま、それでも年末の行事を必死でこなしていた。大掃除も大方済ませ、いよいよメインイベント30日のワシの実家の餅つき大会だ。ワシは、中学一年の時から、縁戚のお米屋さんで年末は餅つきのお手伝いを、高校の二年までずーと続けていたので、自称プロの餅つき屋なのだ。餅つきの総ての工程に精通しているのだ。テルッツも一生懸命御手伝いして。  杵を振るう音で、餅が旨くつけているか分かる。いい音をたてていると、通り掛りの近所の方が、「おー、餅つきですか?正月が来るって、実感しますな。」などと言って行く。ワシ等もそうだ、テルッツは、ワシと暮らし始めてから。ワシは、子供の頃から、持ちつきの疲れが取れぬまま、年が明けるのだ。そうして年始に九十九里に出かける時に、柴又でついた餅を、おとうちゃんの為に持って行く。テルッツの病気が発覚するまでずーっと。  「テルッツ、もう少しで年が明ける、あした28日は餅つきの手伝いを頼まれた。正月は餅を持って出かけるよ。お肉も買わなきゃ。勿論、テルッツも一緒だ。」  つづく。

Maru-Jan

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自分たちの家が建つ!?part2

いつの事だったかはっきり記憶がないが、90年の夏の盛りの頃だったと思う。飯を喰いに行った時、ワシの母親が、「お前たち、家賃毎月幾ら払ってる?毎月何万円も払ってるんだったら、家を建ててローン払うのと一緒じゃないの。」「叔父さんの家を取壊した跡地が事のほか大きいし、叔父さんが、帰って来て新しく家を建てるにしても、今ある土地に全部大きな家を建てる訳でもない。そこで、叔父さんに訊いて見た、そしたら、「いいよ。」って。」  知らない所で少しずつ話が進んでいたようだ。「今度、お前から電話して、叔父さんと話してみたら。」早速、連絡してみた。「おお、その話ね、いいよ、いいよ、家建てな。俺たち夫婦二人きりで住む家は、まあ多分定年まで帰れないから、その分の土地を空けておいてくれればいい。土地のどこに建てるかは、もうちょいと、考えさせてくれ。」叔父さんは、太っ腹なのだ。 叔父さん夫婦は、五年間の約束で福岡へ転勤していたが、延長延長になっていた。「この分だと、暫く東京へは帰れんだろ。」叔父さんもある程度、先を読んでいたようだ。その間、空家になっていたこの家は、東京で受験するワシの従兄妹たちの宿舎、そしてその後の学生生活や勤務の家となって年月を重ね、傷んで来た為に取壊されていたのだった。  暫くして、叔父さんから連絡が来た。「俺の家は、真中で。お前は、元の俺の家が建ってた所でいいかな?」「そりゃ、どこでも。」話はきまった。この時の事は、テルッツの日記にも記されてある。「嬉しいなっと、家は、奥に決まったよー。嬉しいな。ちょっと小さいけど、二人のお家だもん、嬉しいなっと!叔母さんも、お母さんも、お金貸してくれるって。嬉しいな。」それから暫くは、二人で家の間取りを一生懸命考えた。楽しい事で、知恵を絞るのは辛くないものだ。限られたスペースの中にあれやこれやと欲張ったりして。  この年の9月、知り合いの棟梁との相談が始まった。テルッツは、相変わらず頑張って婦人クリニックに通っていた。「女の子(生理)になったら、数日後にはきちんと薬飲まなきゃ。がんばるよ。ね、トシチャン。」  治療の辛さは、日記に一杯書かれてある、どんな薬を飲むのかも、どんな注射を射たれたかも。「家のローンは、ワシが返す。テルッツと一緒に頑張るよ。」  こんな一行があった、「もし、今、赤ちゃんが出来たら、お腹が大きいまま引越だ。大変だな。女の子になっても、また、がんばろっと。」  日記が、ワシの涙で汚れそうだ。  つづく。

Maru-Jan

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自分たちの家が建つ!?

1990年の正月から、九十九里のおとうちゃんたちの家に泊まりにいくようになった。元日から年によってだが、一晩か二晩泊まるのが、テルッツの亡くなる前年まで恒例になっていた。元日の夕食のメニューによって、ぶら下げて行く物が、スキヤキのお肉だったり、蟹鍋用の蟹だったり、おとうちゃんが、焼肉に目醒めてからはずーっと焼肉用のお肉だった。cakeケーキも必ずふたつ作って、皆の前でホールのケーキを人数分に切り分けて、ジャンケンで勝った者から大きそうなケーキを獲っていくという、大人も子供も関係ないバトルロイヤル。ban百人一首、花札、これらも総て容赦無し。でも人が多いとなんとなく楽しい。そう言えばテルッツは、ジャンケンが強かったなあ。夜更かしして、night 大笑いしてhappy01東京に帰る。それで、正月休みはおわり。十九年も続いた吉例だった。   house新しい家は良い。自分たちの家を持つ事など、ただただ一緒に暮らしたいと生活を始めてしまった二人には、夢にも思っていなかった。だが、この後、ワシの母親の一言から、事態が一変するのである。sign03

Maru-Jan

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九十九里は好い処?んじゃ、柴又は?part6

退院して帰ってきたのはいいが、右腕が全く上がらない。箸ももてない。風呂で身体を洗えない。crying テルッツの介助のおかげで、少しづつ良くなって行った。年を越す前に、鎖骨に入っていた金属棒が、取れた。ずうっとしていた鎖骨ベルトもさよならした。ただ、たまにやってくる喘息の発作には、まいった。weep  この部屋には、嫌な想い出がある。二十六年間の結婚生活の中で、最大の夫婦喧嘩をしてしまった。あまりの感情の昂ぶりのせいで、喧嘩の原因を完全に忘れてしまった。 憶えているのは、テルッツが、「もう、死ぬ!」と言って、3階の窓から飛び降りようとした事だ。焦ったワシは、「馬鹿野郎!」と言って、腕を掴んで部屋の中に引き摺り倒した。ワシは、腕力に物を言わせる事は、恥だと普段は思っている。特に恩師から「女に手を上げる奴は、最低の男だ。」と、諭されていたので、それまで手を上げた事など、一度も無かったのだ。この時、禁を破りテルッツを畳に投げ付けてしまった。恐らく、テルッツだって、投げられたのは初めてだったろう。それまでの言い合いが、嘘だったように静まり返ってしまった。テルッツの顔は、恐怖に脅えていた。泣く事も忘れていた。背中を打ちつけたショックで息も出来なかったのだろう。どれ位、時間が経ったか解らなかった。ワシだって、暴力を振るった自分を恥、自己嫌悪で何も出来ないでいた。テルッツが泣きじゃくるのを見て、ようやく事の重大さを思い知った。ただただ謝り続けた。  ようやく、なだめる事が出来たテルッツが、一言呟いた、「怖かったよー。」って。震えていた。この日、仲直りは出来たが、テルッツが又、一言呟いた、「トシチャン、怖かったよー。恐怖のあまりウンコ漏らしそうだったよー。」 これを聞いてワシは、「ワシが、本気で怒ると、そんなに怖いのか?なんという事を、仕出かしてしまったのか?もう絶対に本気の怖い顔は出来ない。」と、心に刻んだ。  テルッツだけが、好きに付け悪しきに付け、ワシを本気に出来る、この世でたった一人の人間なのだ。これ以後、ワシは、演技以外で怒る事はしなくなった。  時々、想い出話になって、この事件の事が出ると、「怖かったよー。」と、言われてしまっていた。  1990年、再び沖縄へ。前年行けなかった処へ行った。 バーベキューを食べている時の優しく微笑んだテルッツの写真が、今は、ワシの枕元にある遺骨の上で花たちと供に飾られている。 「おやすみ、テルッツ。毎日、泣いてばかりで御免ね。また、あしたも、見護ってねー。」「ほいじゃねー。」

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二回目の23日

テルッツが、亡くなって二ヶ月が経った。crying すっかり寒くなり、snow 寒がりだったテルッツの為にマフラーを創った。本当なら、ワシのマフラーになる予定の物だった。黄色とオレンジ色のタータン風のチェック柄、本体とは別縒りの赤と白の糸で格子柄のアクセントが付いている、ちょっと薄手で結構お洒落な生地で、一週間位かかってしまった。この生地は、去年まだ、テルッツの病気が発覚する前の秋口、いつものように二人で、いつもの日暮里の生地屋さんへ買いに行った物だった。 ワシは、「首を冷やさなければ風邪をひかない」と、信じ込んでいるので、冬は首を冷やさないようにしている。喘息持ちだから、これでけっこう効果があるのだ。商売を始めて外に居る事が多くなったので、十年ぐらい前からテルッツに頼んで創って貰っていた。ネッグウォーマーがまだ、登山家やボーダー、Jリーガーでしか、あまり知られていなかった頃、当時は素材がフリースばかりで、汗をかくと気持ちがよくなくて、肌も顔に似合わず弱かったし純毛の毛糸で無いかなあと考えていた。ある日、テルッツにネッグウォーマーの存在を説明したところ、「そんな物、テルがペロッと創ったるわい!」と、言ってくれたのだ。「んじゃ、現物見に行こうよ。」「ええで」何処かのスポーツ用品売場に連れて行って見せたところ、「なんや、貧弱なただの筒みたいなもんやないの。これやったら直ぐ出来るで。」happy01 good あいりがたや、ありがたや。即、「お願いしマッサーロ!」って頼んじゃった。lovelyそれから毎年、秋になって新作の毛糸が出ると旧作の毛糸が安くなるから、「よーし、ワシの毛糸、買いに行こう!テルッツも好きな物買いな!生活代の財布でいいよー。テルッツの熊ちゃん財布(テルッツのシ蜜のヘソクリmoneybagが、入っている)から出さなくていいよー。」って言うと、「ええー、いいのー?うれし。」heart04「とっつ、トシチャン。そんならテルが、ユザワ屋へ連れてってあげましょ。」  テルッツはいつもこうだ。行きたい処があると、「トシチャン、何処何処へテルが、連れてってあげる。」って言うんだ。それは、「テルを、何処何処へ車carで連れて行ってね!お願いするす。」って意味なのだ。 それからは、同じ毛糸で作られたネッグウォーマーと帽子のセットが、毎年2~3組ずつ増えていった。ワシの好きな色、好きな風合で。 snow 仕事で寒い時は毎日着用すると、寿命が短いから次々と、消えては増え、消えては増え、それでも今、十組以上残っている。これも、テルッツが残していってくれた、愛の一部なのだ。heart02  おととし、いつもの日暮里のトマトさんで、いつものように物色していると、ワシは店の一番奥で、ひっそりと棚に置かれていた綺麗な同柄で色違いの生地を見つけた。それは、先に登場した黄色とオレンジ色の生地とスカイブルーと黄色の組合せの生地だった。二つともえらく気に入ってしまい、困って、ワシよりも更に自由奔放に店を物色していたテルッツを、探しまくった。dogようやく見つけたテルッツを連れて来て、「これ、どうしよう?」「・・・んーん、テルは、こっちのブルーの方が好き。」「やっぱりな、そう言うと思ったよ。で、この値段どうよ?」「・・・、メートルが・・・円、するってーと1.5メートルで・・・・、純毛だし、いいんじゃないこれで。」「これ買えば、同じのが二本できるで。こうやって、生地を四つに折って首に巻けばマフラーに丁度ええ、ほら、トシチャン似合っとるでー。これなら、本格的に寒くなる前にぴったり。」「今まで、毛糸のしか無かったから、こうゆうのもあった方がええ。お洒落だし、ね、トシチャン。」   こうして、おととし、スカイブルーと黄色のマフラーは出来上がったのだ。その作られる工程はといえば簡単ではなかった。両端にフリンジを付ける為、4~5cm生地を解して、今度はそれ以上生地が解れないように一本づつ糸と糸を結んでいくとゆう、超肩こり仕事なのだ。「すごいね、テルッツ。・・・」「あったりめーだろ!てめえの注文は、いっつもいつもてーへんなんでい。」っと、言いながら、ワシの物を作る時は、絶対嫌な顔をしないのだ。嬉しそうなのだ。「あとで、おほぐほぐするす。」と、言うと「とっつ、トシチャン。」って、笑顔なのだ。 そうじゃない「テルッツ、いつもワシの為に、とっつ!ありがとっつ。」 smile 次の年(去年)どうしても、あの色違いの生地のマフラーが欲しくなって、テルッツを日暮里に誘った。「ん、誘い?しょうがないなー、じゃ、テルが連れててってやるよー。」って、にこにこ顔で。    入院中、「トシチャン、あの生地持って来て、暇だからやれる時にやっておこうかな?」そう言っていたのに、未完成のまま、物言わぬテルッツと供に家に帰って来てしまった。 ワシの為に一生懸命作ろうとしていたのに。 だからこそ、ワシは、テルッツの気持ちを引き継いで完成させた。見様見真似の素人仕事だけれど、テルッツの遺骨に向って、「テルッツ、ミシン貸してね。ワシなら使ってもいいよね?」と、ことわってから、一本一本糸を結び、緊張しながらミシンがけした。こんなに肩が凝ったのは、生まれて初めてだった。最初に出来上がった一つは、テルッツに掛けてあげよう。もう一つは、あした、ワシが、して行こう。「これで、少しは寒くないかな?テルッツ。」  11月25日、テルッツの遺骨の為に、小さな座布団を三つ作った。翌朝、ワシの誕生日の朝、テルッツは、夢に出て来てくれた。「今度は、どうかな?テルッツ。」clock

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んじゃ、柴又は?part6へ行く前に、ちょっと。

お姉ちゃんからTELが来た。「テイちゃんの赤ん坊の頃の写真が見つかった。」とのことだった。正月、テルッツの遺骨と供に泊まりにいきます。写真楽しみだ。

これからの、話の中に夫婦だけの符丁が、出てくるので解説しておこう。  ネチ=無い  トッツ=どうもありがとう  おほぐほぐ=マッサージ  おしるしる=汁物

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九十九里は好い処?んじゃ、柴又は?part5

「トシチャン!トシチャーン!聴こえる?目開けて!ピタンピタンピタン」gawk なんか気持ちいいなー、テルッツの声がするな、ほっぺが痛いな。と思っていたら気が付いた。「もートシチャンは、ぜんぜん目醒まさないんだから。このまま植物状態になっちゃうかと思ったよ。心配したよ。」sign03「ワシどうなっちゃてるの?なんか、おしっこ漏らしてるような気がするんだけど。」「だいじょぶ、おしっこのチューブが入ってんの。気にしないで。」「もう、暗いの?ワシ、ずっと眠ってたの?」night「そうだよトシチャン、看護婦さんも何度もピタンピタンしていったよ。でも、ぜんぜん起きなくて。」coldsweats02 手術後、ベットに運ばれてから気が付くまで、かなり時間がかかってしまったらしい。全身麻酔は、初めての経験だったし。「トシチャン、鎖骨の中に金属の棒が、一本入ってるって。骨の繋りぐわいを見て、もう一回手術するって。そん時に、金属棒を骨から抜くらしいで。」「あ、それから、引越無事終ったよ。大変だったんだぜー。テメー。」「御免ねー、テルッツ。ありがとっつ。」lovely ワシが、夢の中に居る間に一大事業は、テルッツが済ませてくれたのだった。あ、そうそう、その後抜かれた金属棒は、テルッツが、足の巻き爪を切る時に役立っていた。今でも、この金属棒は、家の爪切りセットと一緒になっている。  「ワシのところに頂いたお見舞いを置いておいても、開ける事も食べる事も出来ねっち。全部持って帰って。お願いするす。」この入院中に、確かメロン三個頂いたと記憶している。ワシは、それを食べる事は出来なかった。退院後訊いた。「メロンは?」  「そんなもんねーよ。全部、まー(妹)と二人で喰っちまった。美味しかったでー。メロンの食い過ぎで喉がいがらっぽくなっちまてい!デへへ。」  テルッツと暮らしていた二十六年の間に、テルッツの方が確実にメロン一個半多く食べている。いいなー!  とにかく、退院後に帰った家は、ワシの地元の新築マンションだった。いよいよ、「柴又は?」 つづく。

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・・・part5に行く前に

報告、アバター通り、本日自分のバリカンで、すっかり坊主頭にしちゃいました。ワシの専属ヘアーデザイナーはテルッツだったのでhairsalon、6月に病気をおしてワシの髪をカットしてくれて以来、伸ばし放題だったのだ。「坊主頭は、怖いから嫌い。」bleahと、いつも言っていたテルッツには申し訳ないが、karaoke(秋山ちえ子先生も、同じ事をおっしゃっていました)一人になってしまったワシに自分で出来るのは、この頭しか無い。しかも、アバターに可愛い坊主頭が、用意されていないので、こんなスキンヘッドになっちゃいました。「御免ねー。テルッツ、ぬらりひょんみたいで。」  きっとワシの肩の上で、「怖えーなー。てめー、何してくれてんだよー!」って、言ってるよ。中指も立ててるかもしれない。pout

女の幸せ3つ星占い〜星が教える、女性の恋愛・結婚・運勢〜

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九十九里は好い処?んじゃ、柴又は?part4

事故の翌朝、改めて、診断が下った。右肩鎖骨骨折及び擦過傷。手術まで一週間。その後、順調なら抜糸まで一週間。合わせて入院二週間。 ということは、引越の時、ワシはベットの上。「まずいじゃないの、テルッツ一人で引越になっちゃうよ。これは、まずい。シ常に!」「でも、とにかく治さなきゃ。」 テルッツは、本当によく通ってくれた。色々世話をやいてくれて、けなげだった。親兄弟は勿論のこと、親戚の御連中も次々とお見舞いに現れた。その際皆さん異口同音に「もう、バイクはだめ!今度事故やったら三回目だぞ。三回目は、死ぬぞ!」って言う。 ワシは、前にも一度、750を潰していた。  そうそう、思い出す。その時、職場は同じでも口も利いていなかったテルッツが、何故か二回、お見舞いに来てくれた。恐らく、そんな事が、頭の片隅にあったから、テルッツにモーションを掛けたのかも知れない。 話を戻そう。 「バイクだめ「バイクだめ」と散々言われた後、極め付けは、「トシチャン、もうバイクは絶対だめ!!」のテルッツの一言だった。またまたトホホ。そんな中、加害者のおっさんが、やって来た。なんか、もじもじはっきりしない奴で、「申し訳ありません。」とか「任意保険に入ってません。」とか言ってた。「そんなの俺には関係ない。なんで酒飲んだ野郎が車運転してんだよ!お前が、のこのこ此処に来れるのは、俺が、逮捕は勘弁してやってくれって警察に頼んだからだ!詫びるのは当然。とにかく総て弁償せいよ。」と、静かに諭した。まだ、なんかぐだぐだ「飲酒、二回目で・・・」「免許が・・・、仕事が・・・」とか。「そうゆう野郎は、当然車も運転出来ないし、仕事も失う。当たりめーだろが!アホンダラ!」と、丁寧に御説明申し上げた。話を聴いたテルッツは、当然のように超激怒、でも鼻息が荒くても何故か、可愛らしかった。 つづく。

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九十九里は好い処?んじゃ、柴又は?Part3

「さあ、いよいよ来週だね、引越。」「うん。」「ほいじゃ、これから帰るよーん。heart04」いつもの[カエルコール]だ。ワシは、一緒に暮らし始めてから、[カエルコール]と[今日は、遅くなるコール]を、欠かした事がない。テルッツに心配かけたくないし、仕事が終ったら、いや、終らなくても、真っ先に声が聞きたいのだ。あの優しい声で、ワシの名前を呼んで貰うと、ほっとするのだ。遠い日の母の胎内のような。  ま、とにかく家路につく事にした。キーを廻し、セルを始動し、ちょいと暖機運転させ、再度スタンドを蹴り上げて、二三度空吹かしをくれてやれば、ビルの街に轟く集合マフラーの咆哮。「では、信号が青になったら、外部慣性ダンパー解除。スル、レディ フォー スラスター。マキシマムワープ。」danger 江戸川橋から講談社前を駆け抜け、護国寺交差点を左折、雑司が谷を駆け上がり、東池袋を右折、サンシャイン前を抜けようと・・・・いきなり反対車線の車が、Uターンしてきて、目の前に!!  「ああ、だめだ!!間にあ・・・」 annoy 気が付いたら路上にぺったり座ってた。wobbly バイクは、ワシのうしろ。バイクと供に車を飛び越していた。頭は、はっきりしていた。後続の車やバイクの方々が、ワシを、助けてくださった。その中のおひと方にテルッツへの連絡をお願いした。利腕である右手が、全く動かなかったからだ。救急車が程なく到着し、直ぐそこの池袋病院へ搬送された。hospital レントゲンを撮られた結果、当直医の言葉、「見事に、鎖骨が折れてます。これ程、綺麗にバッテンになってるのは初めて見た。骨折の見本のようだ。手術で治した方がいいでしょう。綺麗に治ります。問題は、今日は水曜日なので、整形外科の手術日だったので、この案件を、旨く手術してくれる先生は、来週までいらっしゃらないので、手術日まで検査しながら入院ね。」「なんか、急にUターンしてきたんだって?それなら、相手方に全部保険で払ってもらえるから、ゆっくりしていきなさい。」「応急で全部見たけど、ほか痛いとか違和感あるとこ無い?」「それでは、部屋の準備が整ったら看護婦さんが、連れてってくれるから、それまで、擦過傷とか消毒して処置してもらてここで大人しくしてて。それから、容態に変化が、あったら直ぐ言って。」 カーテンで仕切られた処置室のベットで休んでいたら、声をかえられた。カーテンが開き警察官が二人、枕元に立った。「大変でしたねー、御身体大丈夫ですか?私、池袋警察署交通課のOOと申します。実はですねー、もう加害者と呼んじゃいますけど、pig 相手の人、飲んでまして、どうします?逮捕してもいいんですけど。」「逮捕されたら、いろいろ相手方と交渉出来なくなっちゃうから、それは困ります。」「解りました。そう報告します。それと、人身事故ですので、被害者の方も現場検証させて頂きたいのですが、先ず、御身体治してから、動けるようになって、都合の好い時で構いませんから。」  免許証などの確認作業も終わり、入院部屋に搬送された。しばらくして、テルッツが真っ青になってやって来た。「トシチャーン!!だいじょぶ?だいじょぶ?どないした?なにが、あってん?」六人部屋で消灯時間も過ぎていたので声にならない声で叫んでた。「見ず知らずの人から、電話かかってきて、ご主人が事故で・・・って言われて、頭ん中真っ白になって、どないしょ、どないしょって、でも、入院だからって聞いて着替えだけ持って来た。」その後、いろいろ説明して、ようやく落ち着いたテルッツに、「御免ね、テルッツ。心配かけちゃって。御免ね。」  「鎖骨いっぽんで済んだのは、テルッツが、いつも護ってるからだよ。トシチャンは、護られてるんだよ。バイクが、トシチャンの身代わりになってくれたんだよ。そやさかい、助かったんやでー。」 confident  この晩、テルッツは、初めて一人で寝る事になってしまった。coldsweats02 翌日、バイク屋のダチにバイクを引取りに来てもらった。「ありゃ、お釈迦だぜ!」「エー!トホホ。」     つづく。

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九十九里は良い処?んじゃ柴又は?Part2

「トシチャーン、みんなで九十九里に行ってしもうたさかい、此処に住んだる意味ないわ。」と、sad テルッツが言う。「そうなの?んじゃ、何処に住んでも同じ?」「うん。」house 「そんじゃさ、柴又に住んでみる?」と、訊いてみた。少し考える間があって「ええで」と、返事が来た。good早稲田に居た頃から、「飯でも喰いに来い。」と、言われたら柴又のワシの実家に、ごっつぉになりに行っていた。restaurant 帰りに、土産一杯貰ってリュックに詰めて、米なんか貰うと、バイクだから大変だ。ワシの背中とテルッツのお腹の間に挟んで、テルッツは、必死にワシに腕を廻してしがみついて帰ってた。ビューン。 てなわけで、ワシの実家近辺へ引越せば、ある程度飯代がriceball浮くんじゃないかと、皮算用した間だったのだ。 「9月、此処の契約が切れるから、引越そうか?」「うん。」 物件は、わりとすんなり見つかった。流石ワシの地元。 柴又にある八幡神社の裏手に「しらさぎ保育園」(ワシは、此処の卒園児)があって、そこの子供たちの声がよく聞こえる新築マンションの3Fの部屋だった。早稲田のときも、仲宿に住んで居たときも、独身時代から続けていた地元野球クラブbaseballの試合や練習に、テルッツを連れてほぼ毎週通っていたので、柴又なら、かなり負担減になる。問題は、ワシの通勤時間が多くなる事、どうせバイクだし1100で吹っ飛ばして行けばすぐよ。 これが、大誤算・・・・。  ま、とにかく、引越の日取りを決めて、また天草引越センターさんにお願いした。また、荷物が増えていた。「よーし、引越までに使わない物から先に、まとめておこう。ね、テルッツ。」「そんな事言っても、テメエは、仕事だろ、仕事。結局、テルが、やるんだぜ。テメエはよー。」「わりーね。」テルッツが、「テメエ」と言う時は、「可愛い、トシチャン。しょうがないなー。」という意味なのだ。  ・・・大誤算・・・  つづく。

運命の赤い糸

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九十九里は好い処?んじゃ、柴又は?

沖縄旅行の三週間程前に、大変なイベントがあったのを、忘れていた。coldsweats01 3月26日ついに新築なった九十九里の家houseに引越したのだ。26日に、おとうちゃんの家と、お姉ちゃん家と二世帯合わせた引越本体が到着する前日の土曜日、「わし一人やったら、電気も着かん暗い家に、よー、泊まらへん。怖い怖い。cryingwobbly」と言う、お父ちゃんのお守役として、テルッツとワシが付き合う事になった。なんたってワシは、真夜中のお墓でも平気で行けちゃう程なのだ。night 暗いのは、全然怖くない。だいいち向こうへ着いてみたら、電気、ガス、水道、ひねればちゃんと出たし。ま、家財道具の無い伽藍とした部屋に寝るというのは、そう気持ちの好い物とは言えないが。翌日、到着した荷物の量ときたら、超半端無し。full そりゃそうだ、おとうちゃん、おかあちゃん、テルッツの妹「まー」、お姉ちゃん夫婦、その子供たち、4月から中学に上がる甥「こう」、4年生になる姪「じゅん」、ぴかぴかの1年生になる甥「しげ」。総勢8名。ワシに言わせれば、こりゃあ、「Led Zeppelin 移民の歌」だ。引越のB.G.M.はこれで決まり。  「ああ、こりゃ、お先!とか言って帰れないよ。テルッツ。」secret「ほんとやな、トシチャン。」お互いの耳元で、囁き合った。泣いている暇など無い事に、泣けた。 「でも、新築の家は、いいなあ。羨ましいなあ。」sign03

新宿の母 しあわせ八卦

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12.17座談会出席す。

喪主であったため、通夜、告別式にお越し頂いた学会の方々への、亡き妻の生前のお礼と、御手配、御参列、御手伝いお礼を、当日個々の方へゆっくりと申し上げられず、大変非礼に感じていた所、座談会への出席の打診があり、お受けした。「皆様、お気遣い大変有難う御座いました。発言の機会までお許し頂きました。本当に有難う御座いました。」  「大変身勝手とは思いますが、家にお越しの際は必ず、空手にてお願い申し上げます。」「勿論、テルッツも同じ気持ちでいると思います。」

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泣くなテルッツ、希望が無くなったわけじゃない。

正月のショックから、ようやく立直ろうとしていたテルッツに、「今回も、奥さんどうぞ。」と、社内旅行のお誘いがあり、気分転換にいいだろうと思い遠慮なく連れて行った。4月15日から二泊の沖縄旅行だ。airplane 五回目の結婚記念日だし、勝手に二人きりになっちゃえばいいやって事で楽しんだ。heart テルッツにも、いつもの明るい笑顔が、戻ってきた。happy01 この頃のテルッツは、黒髪が腰の辺りまであったんだ。ワシと暮らしていた中で、一番長かった。 sun 沖縄は、最高。グワムとは大違い。食事も美味しかったし、hotel ホテルは、出来たばかりのラマダルネッサンスリゾートという豪華なホテルだった。wave 海が綺麗。tulip 花も綺麗。観光名所一杯。二泊の予定ではとても周りきれない。結局、夕食会で、また来年の社内旅行も沖縄で決定した。テルッツは、「テルも来年来れるかな?」「だいじょぶ、ちゃあんと頭数にはいってるよ。」そう答えると、嬉しそうだった。lovely だいぶ、立直って来たようだ。この旅行での写真には、テルッツの笑顔が溢れていた。勿論、隣にワシが、笑顔で写っているからだ。  普段の生活に戻って、さあ、また、がんばるぞ。ワシも、ちゃんと検査を受けて子作りがんばります。テルッツばかりが、辛い思いをするのは可哀想だ。「トシチャン、その前にまず、供養に行こう。流れてしまった命のために。」「ちゃんと、二人でいこな。」sign03

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近況 おっさん、物思いに耽る

最近、急に視力が、衰えて来た。毎日、長時間PCに向っているからだろうか。 「テルのトシチャンは、いつもかっこよくないとだめ。」と、言ってくれる人が、いなくなってしまって、緊張感の無い普通のおっさんになったからだろうか。  まだ、処かまわず泣き出してしまうので、仕事に就いていない。  遺骨と、差向いで食事をしていると、思う。何故ワシは、残されたのか? これから生きる事の意味は? 「どうしたらいい?テルッツ」 答は返って来るはずが無い。「ごめんね、テルッツ。泣いてばかりいて。」  心の底から、喜ぶ、楽しむ、怒る、感情のほぼすべてが、萎えているようだ。 テルッツと、手をつなげなくなった時間が長くなればなるほど、それに比例して悲しみが増してゆく。 人は言う。「時間が経てば・・・・」 それは、真に、「テルッツとワシ」を理解出来ていない、ある意味無責任な、慰めにすぎない。PCの前では、「悲しい」「寂しい」と、自分の気持ちを吐露できるが、遺骨の前では、決して口にしないようにしよう。  心の底から、「がんばるよ!まけへんでー!」と、言えるようになるには、いつも大泣きで叫んでいるワシには、まだまだ遠い。「テルッツ・・・・・・・」

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親?

テルッツは、婦人クリニックに通っていた。結婚して間もなく卵管炎で数日間入院した事があって、妊娠の事を心配して人づてに紹介して頂いたクリニックだった。通い始めて数ヶ月、1988年12月22日の尿検査で陽性の結果を頂いた。heart02「トシチャン、やったー!!「先生が、大ヒットよ!ホームランよ!」って、言ってくれた。嬉しい、やったー!!!good」今までに無い喜びようの電話が、かかって来た。ワシは、耳を疑った。一瞬、これって現実なの?と思った。でも、むちゃくちゃ嬉しかった。uphappy02 年が明ければテルッツは、31歳になる。暮も押迫り大忙しの中の大事件だった。テルッツの身体を気遣い、おっかなびっくりの正月を迎えた。    

4日、出血してしまった。突然だった。わずか十日余の母親だった。途方も無く悲しかった。「トシチャン、ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」声にならない声で、言葉にならない言葉で、何度も何度も謝るのだ。本当に悲しいのは、ワシよりテルッツなのに。

むかし、二人が、将来のことを語り合える仲になった頃、ワシは、テルッツに、こんな事を言った。 「俺は、男家族で育った。母親も言ってた、女の子がひとり居れば、こんな、がさつな家にならないのに。だから、俺の子供は、女の子がいい。もし女の子が生まれたら、名前も考えてある。 あんず  いい名前だろ?」「へー、可愛いね。」  それから、二人が、もっと、もっと、愛し合うようになった頃、テルッツの宝物に、「トシチャン、ください! あんず。」と、書き込まれてあった。

「テルミさん、37歳まで、頑張りましょう。37歳までは諦めちゃだめ!」その後、少し立ち直ったテルッツに掛けられた、先生の言葉だ。 37歳まで頑張ったテルッツの日記には、辛い不妊治療と心が折れそうな自分の事が、いっぱい書かれてあった。  しかし、その日の締めくくりは必ず、「あしたも、がんばるぞー!」だった。

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きゅうりで河童は釣れるのか?

9月12日は、帰る日だ。sun 帰る前に、是非遠野に寄って、柳田国男の世界に触れてみたかった。妖怪探しだ。 朝、また、宮古まで出て、釜石から遠野へ向った。途中、吉里吉里の駅でちょこっと写真を撮った。遠野駅に着いてどうしようかと思ったら、名所を周るバスツアーがあると知り、すかさず飛び乗った。bus 「トシチャン、この千葉やってなんやろ。」house「そうじゃねっち、それは千葉け、お店じゃないから、ほら結婚式の時の何何け、っていうじゃんか。」「なんで、そんな普通の家見にいくんやろか?」sign02「トシチャン、[おしらさま]ってなんでんねん?」「でんねんたって、あーた、ワシだって知らんがな。まー、行ってみな分からへんで。」coldsweats01 すっかりテルッツのペースなのだ。  テルッツの感想。 千葉家=怖いcoldsweats02 おしらさま=怖いcoldsweats02 お寺の仁王様=怖いcoldsweats02 初めて目にする物は、大抵、「怖えーー!」って言う。どないやねん。 そんなテルッツが、河童淵ではそんなに怖そうにしていなかった。綺麗に澄んだ川の流れで、「テルッツ、こんなに水が澄んでたら、河童の隠れる所が無いぜ。来てみー。」「ほんとだ・・・・」「テルッツ、いま胡瓜ないから、テルッツが自分の指入れて誘ってみー?そしたら河童が喰いつくかもしれん。」「やだーーー!!!」「てめえが、やってみれ!」テルッツは、ときどき江戸っ子のようになる。二人が、写っている河童淵を背景にした写真には、camera 河童が二体入り込んでいる。ただし、陶器だけど。此処には、河童ではなく、妖怪のような爺さんがひとり居るだけだと聞いた。  さあ、もう時間だ。新花巻で新幹線特急券さえ買えば新幹線で帰れるよ。bullettrain「トシチャン、テルは、やっぱりちゃんとした旅館とかホテルのほうがいいや。車だとトシチャン疲れちゃうけど。」ちょっとしたお願い事の時、テルッツは、いつも標準語になる奴なのだ。  振り返れば、二人きりで遠くを旅するのは、これが最後だった。この後、ワシが、商売を始めるので、容易に休みを取れなくなるのである。

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たらふく朝飯を食べたあと

ピッチャーにはいった牛乳を、何度もおかわりした。あれが、冷やされていたなら、お腹が痛くなっていたかもしれない。テルッツは、子供が好きそうな食べ物が大好きなのだ。卵焼き、ウィンナー、ハンバーグなどなど、ようは、お子様ランチのプレートに乗っているものが大好きなのだ。自分の指を折りながら、good「テルの好きなものベスト5、ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、クリームシチュー、カレイ(カレーライスのこと、てるっつは、カレイと言う)だよーん。」ニコニコして言う。「じゃ、うなぎと焼肉が入ってないじゃんか?」「それは、高いから入れられねっち!大好きだけど、シ常に。」本当に子供のようであり、始末屋(倹約家)でもあった。  腹ごしらえも出来たし、岩手山もよく見えているから散歩して写真でも撮ろう、その時ちょいと事件が起きた。カメラを手渡すときに、カメラを落としてしまったのだ。借りてきたカメラだし、当時はフィルムカメラだったので、裏蓋が少しでもずれたらフィルムが感光して使い物にならなくなってしまう。二人の間に気まずい空気が流れた。軽く言い合いになってしまったが、お互いに「ごめんね。」って言って、「ま、しょうがない落としたことは、此処だけのシ密にして、これから撮る写真は、撮れるかどうか賭けよう。」って事になって、まるく治まった。旅行から帰って、写真屋さんお願いした二人の想い出は、無事だった。coldsweats01 とにかく、岩手山をバックにいっぱい想い出が撮れた。テルッツは、taurus「うっぷ、牛くせなー。」とか言いながら。9月とはいえ、小岩井の朝は少し寒いぐらいだったが、用意よく持って行った、あの晩穴八間神社の坂道で右肩をグチャグチャにされた黒のMA-1ジャケット(ワシの一張羅)を、ブカブカに着込んで、袖口から手も出ていない可愛いテルッツの姿が、いっぱい撮れた。lovely  「よーし、そろそろ時間だ。盛岡に出て、宮古へ行こう。一本乗り遅れたら一時間待ちになっちゃうよ。」 あれだけ食べたのに、盛岡でまた、駅弁を買ってしまった。 山田線は、実にのどかだ。スピードも出ないし、ほんと田舎ーって感じだ。すいていた。ボックス一つ占領だ。せっかくいい気分だったのに、後ろのボックスの若ぞうどもが、タバコを吸い始めたので煙たかかった。テルッツは、タバコが大嫌い、ワシも結婚前にテルッツのために止めている。そこで、ちょいと「タバコなら、向こうへ行って吸え!」と、angry丁寧にお願いしたら、みんな逃げて行っちゃった。別に脅したわけでもないのに。テルッツは、大満足。「これで、駅弁が美味しく頂ける。」 宮古に着いて、まずは宿を確保しなくては。今回の旅行は、交通費がかさむため、宿は民宿でと決めていた。大きな荷物はコインロッカーにしまい、小さな荷物だけ持ってぶらぶらした。宿も取れたし、まずは、浄土ヶ浜の観光だ。ポスター通りの景色を見て、遊覧船に乗った。(ちなみに、この時撮影した船内のテルッツの写真が、今使用しているPCの壁紙になっている。) 民宿は、海岸沿いの崖の上でけっこう歩いた。ただ夕食に出てきた「ホヤ」は、シ常に美味しかった。  翌朝は、雨だった。この日は、busバスで北山崎へ向い有名な断崖の上で記念撮影し、カンパネルラ田野畑駅に出て、北リアス線で宮古に戻り、岩泉へ行った。龍泉洞は、夏の天候不順に祟られて、洞内の水量が増えて半分ぐらいしか見学出来ないとのことだった。でも、ここで飲んだミルクティーに感動したテルッツは、何年経っても、「あそこのミルクティーは、美味しかった、美味しかった。」と、言っていた。岩泉の民宿は、山奥の農家みたいな民宿だった。ここでは、忘れられない想い出がある。虫、蛇、夜、おばけ、テルッツはみんな怖がる。night夜中、スヤスヤ眠っていたワシの耳に、sleepy微かに聴こえる声がした。「トシチャン、起きてる?」と。わしは、即答した。「ああ、おきてるよ。どおした?テルッツ。」「おしっこしたい。」 weep この宿のトイレは、民宿のオーナー夫妻の部屋の前を通って廊下の更に奥にあったのだ。「怖くて一人じゃ、行けへんがな。」「んじゃ、ワシがトイレの前で待ってたろ。」「ほーれ、テルッツ、いこいこ。」 テルッツの手を引いてトイレに行った。「ありがと、トシチャン。」  この時のことを、テルッツは二十数年間、感謝していた。旅の想い出話が出る度に。「あの時、トシチャンよく起きててくれたね。ありがと。」って。  

あしたは、遠野で河童をみるぞ!!

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近況報告

以前より、病院にお願いしていたカルテ開示の件で、「用意できました。」との、連絡があり、受け取りに伺った。およそ十ヶ月に及ぶ、治療、看護日誌で、両面コピーにして九十九枚、テルッツの戦いの記録だ。寝食を供にした、後半の五ヶ月。新婚の時よりも、絆を確認し合った五ヶ月。二人で、希望を語り合った五ヶ月。日誌のページが少なくなるにつれて、命のともし火が、かよわくなっていくテルッツ。とても、まともには、読みつづける事などできなかった。もうちょっと、ほんのちょっとだけ強くなれたら、涙を堪えて、最後の一行まで見る事が出来るかもしれない。  テルッツが、ベッドでよく言ってた、「がんばるよ。まけへんでー!」。 あの言葉は、  「もしも、テルが居なくなったらトシチャンの事が心配。」そうゆうことだね。 「そうテルッツの心配通り、ワシは泣きまくってるよ。」そして、君の遺骨の前で、君が残してくれた唯一の遺言を唱えてる。 まだ涙があふれて言葉にはならないけど、 「がんばるよ。まけへんでー!」と。

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列車でゴー

88年の夏は、天候不順だったと記憶している。この年も、田舎に帰る者を、優先的に休暇を取らせ、天気の良さそうな日を狙っていたら、9月9日から五日間となった。列車の旅をしたことが無いテルッツの為に、周遊券を使って岩手県をぐるっと周ってみようという計画をたてていた。当初は、仕事が終った9月8日夜に、出かけようと思っていたが、東北地方の大雨により、thunder なんと、東北本線の法面が、一部崩れて不通になっているとの事で、様子を見る事にした。rain 幸いにも、9日昼、全線開通を知り、今晩出発決定となった。 「テルッツ、今度の旅行は、列車の旅だから車のようには、荷物を持って行けないよ。なるべくひとつにまとめて、重たいものは、ワシが抱えて行くから。それから、小さな枕を二つ作ってくれよ。これが、案外役に立つんだぜ。」 旅行前にそう言っておいた。九月の始め、「こんなんで、ええの?」と、テルッツらしい可愛い生地の、ティッシュボックスをひとまわり大きくしたぐらいのが二つ、しかも、フックに掛けられるように紐まで付いていた。heart ワシは、学生時代から、何時でも何処でも眠れるように鍛えられてきたので、sleepy 夜行列車などなんでもないが、当時、女性が一人で、寝台列車ではない夜行で出かけるのなんて滅多に無い事で、テルッツだって、こんな旅行が、初めてなのも当然だ。今回は、信頼篤い随行員がいるのでウキウキしていた。happy01 「いいかいテルッツ、今晩乗る「夜行急行 八甲田」っていうのは、車両の一番前に二人掛けの席があるんだ。その席の前は、壁になってるから、向い合う人達に気を使わなくて済むんだ。自由席だから、早めに並んで一番になって、だーっと席取っちゃうんだぜ。」「よーし!わしが、席取ったるわい!!」 こういう事は、関西人であるテルッツに任せておけば安心なのだ。上野駅13番ホーム、一番前に立った二人は、案の定テルッツの奮闘により、狙った席を確保した。run ワシは、テルッツに遅れる事四五歩、めいっぱいの荷物を抱え、テルッツの前に立てた。さ、これで盛岡に着くまで大丈夫。荷物を整理し、身支度を整え、テルッツのおやつを用意して発車を待った。「テルッツ。」「ん、なんや?」「ほーれ、例の物出してみー。枕だよ。枕。」 リクライニングの無い、昔で言えば二等車輌であるこの席で眠るのは、容易では無い。しかし、この枕さえあれば、首が楽なのだ。「どうでい。いいだろう、これ。」「と、それから、これこれ。」持って来た朝刊を、足元に広げた。これで、靴も脱げるってゆう寸法だ。chair 発車のベルの音はいい。わくわくする。車輪が、レールの繋ぎ目を踏む音、だんだん速くなる。train 街を離れてゆく。踏み切りを通り過ぎるあの独特のドップラー効果音。心地のよい振動。郊外に出て、しだいに少なくなる街の灯。暗い車窓に映る、頬を寄せ、楽しく微笑む二つの影。いい旅の予感がする。 黒磯で機関車交換を、じっくりと見学して、「さーて、ねよか?」「ねよ、ねよ。」sleepy 二人ならんで、手をつなぎ、枕の位置を調節して眠りについた。はっきりした記憶は、ここらへんまでで、気が付いたのは、一関手前、テルッツは、二人分の席を使い窓側に枕を二つ置いて横になっていた。ワシはといえば、新聞紙の上で。枕は、ワシとテルッツのスニーカーだった。shoe どっちが、旅慣れているのやら。「オハヨ、トシチャン。腹へったでー。」 こいつは、大物だ。   時刻表を確認してみた、宮古へ向う列車は、盛岡で直ぐには連絡していない、てゆうか、まだ始発まで時間がだいぶある。「んじゃ、小岩井牧場でモーニングバイキングがあるから、宮古行をちょいと遅らせて、朝飯食べ放題へ行こう。」そうゆうと、「ええで、喰うたろ。」 一気に目が覚めたテルッツだった。breadcafebananagoodfull  腹が一杯になった後のお話は、つづく。

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初めての海外旅行

「奥さんも、一緒にどう?」そう声を掛けて貰ったので、「では、遠慮なく。」と、答えた。四月の社内旅行の事である。テルッツもグワムに、付いて行ける事になったのだ。ヒルトンで二泊、お決まりのツアーコースといったところだろう。airplane 夜中に現着し、ちょいと寝て、市内観光、ショッピング、シューティング、食事、移動疲れしちゃう。現地の食べ物には、二人とも参った。なんでもワンディッシュ、グルメとは言わないが、美味しいものは、なんでも二人で作る我々にとっては不味かった。シ常に。ただ、向こうの飲み物は、コーラにしても、セブンナップにしても、甘くて美味しかった。二人は、甘党なのだ。泳ぐといっても、なまこだらけで気持ち悪いし、テニスも熱すぎて辛い。sweat01 シューティングに到っては、弾の破片が、鼻の下に当たって、出血する始末。最低。テルッツが、心配しちゃって大変、ワシの鼻の下を、ティッシュでずーと、押さえててくれた。サンセットクルーズも酷かった、夕日は綺麗だったかもしれないが、出された食事が、そうめんのみだった。 その中で、まずまず好かったのは、ホテルの部屋と、恋人岬ぐらいだったろう。恋人岬では、新婚さんのような写真が撮れた。二人ともいい笑顔で。周りの人たちは、邪魔だった。ホテルのバルコニーで夜、二人きりで撮った写真も、いい笑顔だった。いつになく、テルッツの抱きつく腕が、強くワシを締め付けた。lovely 旅行から帰って、会社の面々と相談した結果、「グワムに、二度目は要らない。」と言う事になった。angry   5月3日連休初日、予てから約束していた、「九十九里の土地を見に行く行事」が、行われた。house お父ちゃんと義兄は、車で千葉東金を目指し、car ワシとテルッツは、おかあちゃんと、お姉ちゃんとその子供たちで、東京駅から電車で東金を目指した。train 子供たちが居ると、電車の中も楽しかった。お姉ちゃんの子供たちは、妙に、ワシに慣れていて、面白い奴らなのだ。そういえば、結婚前、初めてテルッツのお姉ちゃん家族を、紹介してもらう時、妙に大歓迎された。悪者役になったり、家中のおもちゃを出してきたり。そりゃもう大騒ぎ。「髭のおじさん」とか言われちゃったりして。そんな雰囲気だから、テルッツも楽しそうだった。でも、この日実は、テルッツとワシは、土地を見ていない。東金に到着したものの、待てど暮らせどおとうちゃんたちが、来ない。当時は、携帯電話などというものは無い。ただ風の便りに、連休の渋滞に巻き込まれて遅れているらしいとの情報があった。それでは土地の場所を知っている人間が居ないし、車が無いから足も無いし、困ったよ。しばらく待ったけど一向に来る気配が無い。テルッツが、ワシに気を使ってくれて、「ほな、うちら、二人で帰るわな。」と言ってくれて、ワシらだけ別行動になった。それから、二人で、「内房線経由でぐるっと回って帰ろうか?」という事になり、鴨川まで足を伸ばした。「今日は大変だったから、寿司おごってやるよ。」って言ったら、「きゃ!うれし!」lovely だって。町を歩いて海岸で遊んで、美味しそうなお寿司屋さんを、見つけた。綺麗な店で良かった。サザエのつぼ焼きなんぞを薦められて、注文したりしたらワシの財布が、食べられたサザエになってしまった。テルッツは楊枝をくわえてシーハーしてた。大満足の二人は、鴨川発の特急で家路についた。night      

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12月10日、今日が本当の七七日

告別式の日から、テルッツが、ペッタリと座っていた祭壇を、ワシが、綺麗な組立式の棚に換えた。斎場で用意してくれた、キラキラの白い布がかかった二段式の祭壇を、いつまでも使ってはいられない。テルッツだって、仏様っぽいのは嫌だろう。それに、寒くなって来たし、いつまでも、ペッタリ座らせて置くのも可哀相だ。そう思ったから、前もって座布団を作っておいた。テルッツの好きそうな生地を買って来て、テルッツのミシンを借りて。それと、ワシが作るケーキの中で、テルッツが一番好きな「ベイクドチーズケーキ」を焼いた。cake アプリコットソースもたっぷり作った。 テルッツが、ほんとに大好きなソースは、お家の庭に、梅雨前と秋の二回、実を着けるフランボワーズで、手作りした香り高い真紅のソースだけれど、今は、時季はずれで作れない。「御免ね!テルッツ。」 でも、座布団は、三つ作ったよ。heart04

新釈インド星読ミ占

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1988年結婚4年目

3月12日、ワシとテルッツは、ワシの弟、従弟、ワシの悪友、弟の友人夫妻と供に伊豆へ一泊旅行に出かけた。弟の友人が、勤めていた病院の寮が当たったのだ。テルッツは、ワシの弟を「アシル」と呼ぶ。それは、弟が悪ガキだった頃、知り合いの家の小さな女の子に「アヒルちゃん」と、呼ばれていたからだ。テルッツは「アヒル」と、言っているつもりなのだが、周りには、「アシル」に聴こえるのだ。出かける前の晩、鏡に向って、hairsalon前髪を鋏で揃えていたテルッツは、「きゃー、切り過ぎた!」「えらいこっちゃ、あかんでー。し常に。」 ま、ワシにしてみれば、髪を揃える時、いつもの騒ぎなんだが。「ほーれ、見てみい、こんなになってもた。」 想像通りだった。アマゾン奥地のヤノマミ族の前髪と、同じになっただけなのだ。こうゆう時は、いつも、こう言ってなだめるのだ。「テルッツ、大丈夫大丈夫。可愛いよ。12chのファッション通信に出て来るモデルも、そうゆうヘアスタイルじゃんか。」って。すると、「あっそ、可愛い、へー 可愛いのか。」 happy01 これも、いつもの会話だ。ワシに「可愛い」と、言わせたいのだ。後後、髪を切ったときは、自ら「ヤノマミテルミ」と、言い放っていた。 テルッツは、繊細そうに見えて、割方単純に出来ているのだ。  この旅行の集合写真には、一人だけ、アマゾンの先住民が入り込んでいたのだった。しかも、夜には、酒が入って、赤ら顔にもなっていた。屈託が無いとは、正にこの人の事なのか?bleah

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つづくのつづき

文章が、途切れ途切れになって申し訳ない。なんせ一人暮らしで、電話、訪問客、セールスに応対しなければならず、昼間、一人で家に居たテルッツが、大変だったんだなあとつくづく思う。 それでは、つづき。 お正月に、おとうちゃん一家が遊びに来た時、お姉ちゃん一家が、予てから購入していた千葉の九十九里の土地に、いよいよ家を建てて引越すことが決まったと聞いた。当時、お姉ちゃん一家が暮らしていたアパートが、取壊すので出て行ってくれとのことだった。予定が、前倒しになってしまって、大変困惑していた。でも、九十九里に引越せば、一気に八人家族になって一緒に暮らせるんだ。好い事だ。 「そうか、そやったらテルたちが、ここに住んどる意味がのうなってしまうやん。」ちょっと寂しそうなテルッツだった。大丈夫、いつもテルッツは言ってたじゃん「トシチャンと一緒なら、どこでもいい。トシチャンが、居ればどこでも一所。」って。

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普段の仲宿、普段の二人

一緒に、暮らすようになってからずっと変わらない事のひとつに、仕事に出かける時のルーティーンがある。ワシが、「ほんじゃ、いってくんねー。」って言うと、テルッツが、「気を付けてやー。お早うお帰り。」って言ってKISSする。lovely ワシが、仕事を辞めて、テルッツに付き添うようになるまでずーと。いつも、柔らかくて優しいくちびるだった。息を、引取ってもなお、柔らかくて優しくて、そして、温かかった。 この年の冬、ワシの要望にテルッツが、大英断を下した。なんと1100ccのバイクの購入に、OKをだしてくれた。それまでの750ccに物足りなさを感じていたため、「うしろに、乗れば即、違いが解るよー。」なんて言って説得した。coldsweats01 「気を付けなあかんでー!通勤に使ってるやさかい。」 友達のバイク屋さんで、新車購入。ヤッター! 護国寺から東池袋へむかう途中の高速下、雑司が谷あたりのコーナーで、バイクを倒し込むと、喜んでいたのはテルッツじゃないか。「おー、速えーなー!」なんて言っちゃって。 お正月、流石に実家が近いだけあって、一族郎党連れ立って遊びに来てくれた。当時はまだ、甥っ子姪っ子達も小さかったし騒がしかったけど、おとうちゃんが、「ええ正月や。」って、言ってくれたので良かった。fuji  この年は、いろんなことがあった。特に、それが、年末にやって来るのだ。  つづく。

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今日、12月7日の夜、沢山のお電話有難うございます。

12月4日の七七日法要が、無事済んだあくる日に、後返しで、ほんのささやかな品を発送させて頂きましたところ、沢山のお礼と供に励ましのお言葉を、頂戴致しました。大変有難うございました。この場を借りまして、此方こそ、あらためてお礼申し上げます。 これより、又、寒くなるやに聞いております。皆々様に置かれましては、くれぐれも御身体を、お気を付け下さいますよう、並びに、いつまでも泣いてばかりいる私を、見守って頂けます様、お願い申し上げます。  

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テルッツの故郷を見に行ったら!

ワシは、小さい時、父親の運転する車の助手席で、地図を見る役目が好きだった。そのおかげで、初めて行く土地でも前もって地図を予習しておけば大抵は、迷わずに着く事が出来た。今でも、本屋に入れば、料理とお菓子の本、それに地図はチェックする。 後に、と言っても、まだテルッツが元気だった頃、「すごいね、トシチャンは、今、どっちに向っているか方角も分かるんだ。テルは、ぜんぜんわからへんけど。」 そう、大きなショッピングモール、駅の地下街、地下鉄の乗り換え、知らない町の散策、一度通った路は、必ず覚えてしまうワシを、のちのち「不思議獣」と呼んでいた。ワシに言わせれば、テルッツこそ「不思議獣に乗った不思議な少女」だった。   car二人の乗った車は、滋賀県に入った。「よーし、じゃ先ずこの辺で地図をチェックしとこうか?」「どれどれ、なるほどそうか、国道一号に出て、甲西高校通り過ぎて、ちょいとしたら脇に入れば、水口か?栗東インターから一号に出よ。何か、鉄道の駅があるみたいだから、其処まで行けばテルッツなら解るかな?」少し心配そうな横顔だったけど、despair とにかく行ってみよう。  train 駅についた。其処からは、テルッツの記憶が頼りだった。大きな木、川に架かる橋、なんせ住所を、「もう憶えたらへん!」と、言うのだ。同じ処を何度もまわった。「どうした!テルッツ自分の生まれた所憶えてないのか!」 思わずきつく言ってしまった。そうしたら、涙がポロポロ出てきたかと思ったら、テルッツは、「ビエーー!!」と、子供のように大泣きしてしまった。crying「御免ね、テルッツ御免ね。」「どうした、テルッツ?」  「そんな、きつう言わんでもええやんか!」「忘れたんやさかい、しょうがないやろう!」 poutワシにも怒っていたけれど、テルッツは、「自分の生まれた所を、忘れちゃった。忘れちゃった!」と言って、また大泣きした。なだめるのに、どれくらいの時間が経ったのか、辺りは、もう夕方の気配がしていた。  小学校4年生になる時に、一家を挙げて東京に出てきて二十年、以来、一度もふるさとの地を踏んでいなかったのだ、忘れて当たり前なのだ。「テルは、冷たい人間なんやろか?」 「そうじゃない、誰だって二十年前の事など憶えてやしない。」「テルッツは、冷たい人間でも無いし、悪くもないんだよ。」「御免ね、テルッツ。」  現に今、このブログを書きながら、テルッツの残してくれた「愛の記録」と、二人で撮った写真と、ワシのぼんやりした記憶をフル回転させて、涙に塗れながら更新しているんだ。「あの時は、本当に御免ね。テルッツ。」   機嫌が直ったテルッツを乗せ、鈴鹿峠を越えて伊賀上野を通り名古屋を抜けて東名高速へ。「よーし!テルッツ、ご機嫌伺いに、この先の浜名湖で、うなぎを奢ってあげる。」「旨いよー。」と言ったら、「ええでー。」だって。 テルッツは、うなぎが大好きなのだ。  その日遅く、お家へ着いた。翌日は、二人でゆっくりして、休暇の最後の日、またまたご機嫌伺いでテルッツをディズニーランドへ連れて行った。テルッツのご機嫌を取るのは、高くつくのだ。トホホ。weep  十数年後、テルッツは、姉と大阪へ行った帰り、水口に寄ったそうだ。今度は、姉という確かな記憶のおかげで自分の生家を見てきたらしい。「あったで、あったで、テルの生まれた家が、まだ残とったやんかいさー。」と、言って、ニコニコしながら帰ってきた。happy01 「今度は、トシチャンも連れてったるわい。」   テルッツ、その「今度」は、いつなの?テルッツ、君はもう居ないんだよ。   

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満天の星空のつづき

8月31日の夜が明けた。廊下の窓から、朝日の当たる乗鞍のTOPが見えた。sunワシは、昨夜の記憶が、テルッツにとって一生の想い出になっているとは、この時は、まだ知らなかった。布団の中で、すやすや眠っていたテルッツsleepyを「ご飯だよー。起きな。」といって、頬を撫でた。目を醒ましたテルッツは、この世で一番優しい言葉「オハヨ、トシチャン。」と、言ってくれた。heart02今考えれば、この時から「利ちゃん」ではなく、テルッツだけが、発せられる独特の節回し「トシチャン」になったのだ。以後23年間、ワシは、「トシチャン」に癒され続けた。  「さ、今日こそ高山へ行こう。」朝御飯を済ませハンドルを握った。高山の町は、きれいだった。駅前に車を置き、チャリンコを借りて、町をぐるぐるまわった。軒下の酒林(杉玉)を触った。土産物屋もひやかした。高山本陣の前のみたらし団子屋で一本づつ団子を買ったら、団子屋のおばちゃんが、テルッツに、「へー、東京から。いいシャツ着てるね。ホントにいいシャツだ。」と、褒めていた。  昼飯は、「白川郷で食べよう。」と決まり、白川郷へ向った。合掌造りの家並みを散策し、飛び込んだ御食事処で蕎麦を注文した。旨かった。「美味しいね、トシチャン」テルッツも大喜びだった。テルッツが、「旨い!」と、言った蕎麦は、二軒だけ。この御店と、あとの一軒は越後十日町の小嶋屋さんだ。この後、どこかで、蕎麦を食べたとき必ず引き合いに出て来るのだった。  にわかに、雲行きが怪しくなって来た。日本海を台風がtyphoon北上していると、ラジオが伝えていた。白山スーパー林道を通って、金沢へ行くつもりだったが、通行止めになってしまい、回り道を余儀なくされた。またまた、予定した通り事が運ばない。「しょうがない、地図で決めよう。どーれ。」方向音痴のテルッツは、地図をくるくる回すばかり、despair「今、テルたちが居る所もわからねち!」妙に、鼻息があらいのだ。「んじゃ、ここを通って富山県まわりで金沢に入ろう。」と、言って指差した。「ここって、何て読むのかわからねち。」「あーあ、これゴカヤマ(五箇山)ってゆうんだよ。」この選択が幸いし、谷あいの国道のおかげか、雨、風供に無く、五箇山で合掌集落も見れたし、スムーズに金沢に着いた。兼六園前の観光案内所でこの日の宿を探してから、園内で遊んだ。この日の宿は、山城温泉だ。「酔っぱらいが、居ると五月蝿くてしょうがないから、宴会場の無い、落ち着いていて、部屋で食事が出来る宿お願いします。」と、希望しておいたので、確か名前は、「わたなべ」だったと思う。記憶違いなら御免。いい宿だったよ。係りの仲居さんに、チップを弾んだら朝食のとき、自分で買ってきた越前ガニを持ってきてくれた。時期ではなかったが、「朝飯から、蟹が食べられた!」とテルッツは、大喜びだった。さあ、今日は米原経由で東京に帰ろう。そうだ途中で甲賀に寄ろう、テルッツの生まれた処を探そう。  この日、テルッツを、おもいっきり泣かせてしまう事になる。crying

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12月4日無事七七日法要済む

テルッツの七七日法要が、無事終了した。ごく近親と旧友で和やかに進んだ。恥ずかしがり屋のテルッツも、あれぐらいの人数なら大丈夫であっただろう。それにしても大人数が、テルッツとワシの家に泊まり賑やかだった。5日夕方から晩にかけて「無事、着いたよー。」と、それぞれ連絡を貰い安心した。そして、いつもの二人きりの晩御飯となった。ワシは、テルッツを一人ぼっちにしたりはしない、ワシの命ある限りずうっと手元においておくつもりだ。「テルッツ、みんな帰ったよ。またいつも通り、二人だけになったよ。」と、話しかけた。そして、いつものように泣いた。

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12月4日七七日法要のご接待の為、上高地の続きを書けず

明日は、テルッツの七七日法要の為、御接待準備で忙しかったので、本編の更新は6日以降になる予定です。申し訳ありません。何か行事があるときは、いつも、二人で手分けして、こなしてきたから大変だ。sad でも大丈夫、テルッツが主役、テルッツの為だもんね。flair

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二人にとって一番大切な記憶

1987年夏、住み慣れた早稲田から、板橋の仲宿に引越した。二人で暮らしていると、やっぱり所帯道具って増えるんだなあ。早稲田に来る時は、軽トラックでおつりが来るぐらいだったのに。業者に見積って貰ったら、二トン車一台分だって。ちなみに、「天草引越センター」にたのんだんだ。当時、たしか夏目坂にあったと思う。  引越先は、狭い路地裏の新築アパートの二階の綺麗な部屋だった。アパートには珍しく収納が、いっぱいあった。「これなら、荷物が増えても平気だね。利ちゃん。」二人で即決した。びっくりさせられたのは、引越屋さんだ。あの狭い路地に、トラックをかなりの距離バックさせて、冷蔵庫も紐を掛けて一人で担いで階段を上がっちゃった。超テキパキだ。「なんか、軍隊さんみたいだね。」て、テルッツは、びっくりしてた。sign03  部屋が、落ち着いてきたら早稲田の時のように、「また、探検に出よう。」スーパー、ケーキ屋さん、cakeラーメン屋さん、noodle病院、hospital美容院、hairsalon貸ビデオ屋さん、和菓子屋さん、二人で手をつないで。lovely 仲宿に引越して来たのには、訳があった、テルッツのおとうちゃんとおかあちゃんの家が、比較的近かったからだ。妹もスーパーの会社に就職していて、勤務地は仲宿だった。そうそう、ワシらは、このスーパーで、なななんと、四万円も拾ったんだぜ。ちゃーんと半年後ワシが、飯田橋まで貰いにいったよ。good後々の旅行資金のために。この頃のテルッツは、ワシを入信させようと躍起だったなあ。さまざまな、幹部の方々に引き合わされた。出来るだけテルッツについて、会館へも出かけていった。喧嘩もしたなあ。テルッツは、怒るというよりは、直ぐ泣いちゃうんだ。「テルッツ、いつもワシが悪かったんだよ。テルッツを傷つけるような言葉を言ったからだね。」ワシらの喧嘩は、絶対に仲が、悪くなるような事はなく、お互いのまだまだ解らない部分の見せ合いのようなもので、喧嘩の度に理解を深めたような気がした。だって、喧嘩をしてもその晩は、必ず手をつないで寝ていたから。そうそう、そういえば、学会のお世話になった方で、えーとっ、お名前は伏せておこう、お寿司屋さんの方、その方に頂いたメロンは、人生の中で一番甘いメロンだった。これ以後、テルッツとメロンを食べる時、必ずあの時の味と比べてしまう。とっても甘くて美味しかった。   会社で責任ある立場になっていたワシは、部下に夏の休暇を先に取らせた後、取れた休暇は、8月30日からだった。行く処だけ決めておいて、宿は現地で探そうという計画だ。行先は、松本、上高地、飛騨高山、白川郷、金沢、帰り道に甲賀へ寄ってみようという事で決まった。spa 朝一で中央高速を一路、松本へ。sunもうむちゃくちゃ天気が良くて、むちゃくちゃ熱かった。お城好きのテルッツの要望で、まずは松本城へ、素晴らしかった。「よーし、次は上高地だ。行くよ。」 沢渡で車を置いて、そこからバスで上高地着。大正池でバスを降りて、歩いて河童橋へ行こうと決まった。森の中の遊歩道気持ちいい。大正池に姿を映す焼岳、立ち枯れの木々、清流梓川のせせらぎの音、鳥の声、木漏れ日の優しさ、木立を抜けて行く風の香り、握った手の何ともいえぬ暖かさ、平和であることの尊さ、愛する人の大切さ、歩きながら感じられた。河童橋が、見えてきた。そのうしろには、穂高の山並、最高の天気で、最高に素晴らしかった。up   車に戻ってきた。「そろそろ、泊まる処、捜そうよ。」高山へ行きたかったが、まだこれから先、峠を二つ越えなきゃいけないし、上高地で遊んじゃって、時間も押してたし、二人で地図を見ながら検討して、安房峠を越えれば、平湯温泉がある事に気が付いた。「んじゃ、今日は、平湯で宿を探そう、温泉の観光案内所へ先ずは寄って見よう。」  この決定が、その夜二人に、永遠の記憶を残す事になる。 安房峠を越える頃は、まだまだ、日はあった。乗鞍岳もその姿を、はっきり見せてくれた。案内所で紹介してくれたのは、確か「平田館」という小ざっぱりとした旅館だった。hotel窓から見える乗鞍に、にしびが中っていた。案内所で、「一人1万5千円で」とお願いしていたら、やたら大きな部屋に案内された。「この部屋、10人ぐらい寝れそうだね。」って、二人で大笑いした。夕食後二人で散歩に出た。山の中の鄙びた温泉街だから、宿の明かりから少し離れれば、真っ暗に近い、するとどうだ、見上げれば満天の星。「星って、こんなに多いのか?」と、続けて「テルッツ、あそこ見てみん、あれ見える?あの明るい光の帯、ほら、あっちから、こう行って、こっちへ、ほら、あれが天の川だよ。ミルキーウェイっていう奴だ。」「わー、すげー、初めて見た。綺麗だね!としちゃん。」ワシもこれほど綺麗な天の川は、生まれて初めてだった。以前、高校のとき、清里でのキャンプで見たが、これほどはっきりしていなかった。あまりの星の多さで、星のあるところが、空。ないところが、山並。そして、その山並へ、天の川は流れてゆく。  「ロマンチック」とは、このことなんだ。確信した。宿に帰った二人は、星が、降り注ぐ窓の下でひとつになった。heart04

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いつも、コメント有難う。

自分は、人並みに人を愛せる自信があった。沢山の女性を愛してきたつもりだった。けど、テルッツは、全く他の人とは違ってた。ワシの人を愛する能力を、グイグイ、グイグイと伸ばしてくれた。結果、「テルッツに恋するオッサン」に成れたんだよ。テルッツが、「恋する少女」のままでいてくれたかさ。

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昨夜のつづき

郡山から峠を越えて、視界が開けた時、猪苗代湖がでーんと広がっていた。磐梯山もちゃーんとあった。「でっけなー。」テルッツは大喜びだった。「よーし、ほんじゃまづ五色沼へ行こう。」二人は、エアコン嫌いだったので全開の窓から流れ込んで来る風の、何という気持ちよさ。夏の田んぼいい香り。時々飛び込んでくる家畜の何ともいえない臭い。「くさー!」とか言っても顔は、笑顔のままのテルッツ。当時、ワシは、バイク乗りだったから750のケツに、テルッツを乗せて飛ばしてたんだよ。だから、車で一緒のドライブは初めてだった。   五色沼の駐車場に着いたのは、お昼までまだ、大分時間があったころだった。熱かったなあ、テルッツの麦藁帽子可愛らしかったなあ。二人でボートに乗った。ワシは、ここへ来るのは学生の頃に来て以来二度目だったが相変わらず水はむちゃくちゃきれいだった。二人は、お揃いのアロハを着ていたんだ。その頃、流行っていたペイズリー柄のブルー地とブラウン地の二種類の生地を、池袋のキンカ堂まで買いに行って、テルッツが作った物だったんだ。テルッツは、何でも作っちゃうんだぜ。当時、ワシが着ていたこのてのシャツは全部テルッツの手作りさ。 ボートを降りたら、二人とも喉が渇いちゃって、お土産屋さんでコーシー牛乳(テルッツは、ハシフヘホになっちゃう)を飲んだ。左手を腰に当てて、グビグビと。「プハー、うめー!冷てー!」なんて言っちゃって。昼ご飯食べて、桧原湖とか周辺をドライブして天元台を目指した。この日の宿は、白布温泉の東屋さんという旅館を予約しておいたんだ。お湯の中に、湯の花がキラキラしていて、いいお湯だったなー。でも、それ以上に、湯上りのすっぴんのテルッツは、最高だった。「テルッツは、やっぱりすっぴんが、一番綺麗だよ。」   二日目は、ワシの母親の田舎、新潟の十日町を目指した。喜多方で、名物のラーメンを食べた。奥只見を抜けて新潟に向かった。途中、田子倉ダムで記念撮影したりして。ワインディングロード最高。結婚式のお礼かたがた田舎の親戚をまわってその晩は、わしの伯父の家に泊まった。明日は、二人の部屋へ帰ろう。「また、旅行に連れてってね。利ちゃん。」「ああ、また来年ね。」「きっとだよ。」価格に訳あり!メール便送料無料毎日の健康、ダイエットにオススメ初回限定黒酢100円サプリ〓.【NEW鎮江香醋 香酢ソフトカプセル Ver.E_kz】〓(1ヶ月分)※お一家族様1個まで!右に記載の(100円サプリ購入条件)をご覧下さい★100円 送料無料!★代引き不可【YDKG-ms】【smtb-MS】本日最大ポイント24倍!

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