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2010年11月

ちょこっと現状のお話をしてその後早稲田の続編

だいぶ、かたずいて来たよ。後は、冷蔵庫、トイレ、床のワックスがけ。ま、そんなところかな?  昨日、一つ書き忘れていた事があった、それは、大掃除のリストだ。いわゆる進行表のような物でタイトルは、「大掃除の計画」、毎年12月の始めに、テルッツから提示されていたのだ。ワシは、土日は休めたので、その日を旨く使って消化して行こうというものだった。毎年大晦日は、買出しと決まっていたので、必ず30日までに終らせる計画になっていた。そうしてその30日の晩に、リストを総て黒く塗りつぶして、「ハイ、終わり。」と言って、二人で拍手をするのが恒例になっていた。ところが、今年ときたら、どうリストを作っていいやら。やれと言われればなんでも致しますが今年は、段取マンが居ないので苦労した。「大掃除の計画」を提示する時のテルッツの鼻息は荒かったなあ。自分の鼻の穴を両の手の指で広げて、「フンフン!段取テルミ!」とか言っちゃて。  さーて、早稲田、早稲田と。  「あまーい新婚時代」とは、飽く迄二人の関係の事だけで、生活は、「キビシーー!」って感じだった。ワシの貯金は、50万円程あったけどそれは、部屋の契約でほぼなくなっちゃたし、なんせ当時は、敷金二ヶ月、礼金二ヶ月、前家賃ひと月分なんて当たり前だった。披露宴の代金は、ワシの両親が出してくれたからいいようなものの。勿論、しっかり者のテルッツだって貯金は持っていたよ。でも、それは、「テルッツが一生懸命貯めたお金なんだから、テルッツに何かあった時のために、絶対遣っちゃだめだよ。」と言って、懐にしまわせておいたのさ。なんとかなったのは、二人で働いていたからかな。でも、この早稲田に居たおよそ三年半ぐらいの間に、ワシは、二回仕事を換えた。「ごめんね。」  結婚した年は、旅行なんて行けなかった。翌年も旅行なんて行けなかった。けど、ワシの友達が、当時、「おもちゃのトミー」で働いていたからスポンサーパスポートをくれて、皆でディズニーランドに行って遊びまくったよ。乗り放題だった。  1986年の夏、結婚して初めて休暇が取れて、二人っきりの旅行が出来た。一日目は、裏磐梯をめざした。平日の朝早く車で出発する。と、どうだ、テルッツは、対向車線が朝の渋滞なのを見て、「皆は仕事。テルたっちは、旅行だよー!いいだろ!嬉しいなっと!ワーイワーイ!」と、助手席の窓を全開にして、街に向かって叫んでた。よっぽど嬉しかったんだなあ。そりゃそうだ、宿帳に、人目を忍ばず夫婦として堂々と本名を、記せるのは生まれて初めてだもん。ワシだって嬉しかったよ。非常に。鼻の下が伸びてたよ。確かまだ首都高が、東北道と繋がってなかったから、一路、浦和を目指した。現地での顛末は、又次回で。54歳になったおっさんは、23時をまわると、「眼がいんだるわい!」

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今回は近況報告

ブログチェック、誠に有難うございます。エリッチ、なんと言う奇遇!そうだ、光ー!一分でスクリーンセイバーに、戻っちまうのはキビシイぞ。ちょっと文章を考えている間に直ぐ、テルッツの可愛らしい顔が、微笑みかけてくるんだよ。一分毎に、泣く羽目になっちゃてるんだ。是非直してくださいお願いします。 それから、ちょっと着替えてみました。スタジャンにブーツです。分かり難いかもしれないけど。   近況、今日から、大掃除のまね事を始めました。去年は、11月の末からテルッツの精密検査が開始となり12月15日には、なんと癌宣告まで受けてしまったので、とても大掃除どころではなかった。今丁度、テルッツの遺影の背後になっている障子の張替えも窓掃除も出来ないままで、障子紙は変色してボロボロ、窓枠はカビだらけだったのよ。七七日も、もう直ぐだし、親戚の面々もお出でになるし、少しぐらいは、キタネー家とは言え、かたしておかないと。テルッツだって言ってたよ「テルは、世の中で一番嫌いなものは、カビでんねん。」と。カビが生えたらすぐ「ポイ!」だってね。いつだったか、テルッツが、水虫になった時ワシが、「水虫ってカビなんだぜ。」て言ったら、「ギョエーーーーー!!!!!」て言って、次の日直ぐ、皮膚科の病院へすっ飛んで行ったけ。「毎日、よーく足洗って、石鹸でよーく洗っていいから、んで、その後、朝晩二回ちゃんとこの薬塗っておけって、先生に言われた。こんな軟膏くらはった。」と言って、帰ってきて少し安心したようだった。懐かしいなあ。ま、とにかく、カビの嫌いなテルッツの為に、障子の張替えと、窓枠のカビ落とし完了致しました。明日からは、他の窓もやろう。テルッツが病気になる前は、ワシが、サッシをはずして外で水洗いしてる間に、テルッツが窓枠を如雨露で流しながら洗うという分担作業だったのに。テルッツの存在は、本当に重くて大きい。

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1984年4月15日 結婚式

当日前後の記憶は、めずらしく舞い上がっていたらしくポヤーとしか憶えていない。テルッツの日記も当日の事が、あまり詳しく書かれてはいなっかった。テルッツも同じだったんだな。急遽決まった式なので慌ただしく進んだ。二人の衣装、招待する方々、引出物、勿論式場も。柴又帝釈天門前の川千家さんの参道脇の二階の座敷が、お店舗のご好意で半ば強引に予定して頂いた。(川千家さん、あの時は本当に無理いっちゃてごめんね。ありがとう。)結納もなしだった。当の二人は、結婚したい訳ではなく、一緒に暮らしたいだけだったので、何故か他人事のように思えた。   総てが、曖昧な記憶なかでもワシだって、ちゃんと、いや、決して忘れる事の出来ない記憶がある。もしも、ワシに次の命が与えられるとしたら、その命にも深く深く焼付けられたであろう記憶。テルッツの花嫁姿だ。座敷での人前結婚いわゆる祝言だった。「高砂やー」で三三九度の盃を交わす厳かな式だった。白無垢綿帽子勿論綺麗。御色直しで着たこの世で最後の振袖姿勿論綺麗、本当に、あの空色の振袖姿は、お人形さんようだった。「テルッツ、勿論、テルッツが着ていたからだよ。」   新婚旅行は行けなかった。その晩も、二人の住家へ帰った。でも、この日から二人の部屋は、「所帯」と言う名になったのだ。独立したテルッツに、独立した証として御本尊様がやって来た。小さな御仏壇に安置された。テルッツは緊張した中にも安堵した表情だった。これでようやく、二人のお家になったのかな。何ヶ月も一緒に暮らしていたのに、これからは「新婚さん」と呼ばれるんだと思った。嬉しそうな悪戯顔で、ワシは、利ちゃんの「正妻テルミやでー。」と言っていた。「奥さんかー?なんかこう、ぴんと来いひんわ。」とも言っていた。   ま、いずれにしても「あまーい恋愛時代」から「あまーい新婚時代」へ名称変更だ。この名称変更は、テルッツが、二十六年後、息を引き取ってもなお続いている。

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1984年を迎えた頃

勝手に、暮らし始めてしまった二人だから、お互いの両親からは快く思われていなかった。テルッツは、信心していたので、特に、テルッツの両親は大反対だった。そりゃそうだ、無信心で何処の馬の骨とも解らない、しかも娘を、恐らく騙しているのであろう得体の知れぬ男と思われていたのだから。一方ワシの両親も反対していた。しかし、ワシは、親も認める超頑固者、こうと決めたら梃子でも動かん男なので渋々認めさせてしまった。ただ、「けじめは、はっきり就けなさい。」ということで、結婚式は、内々で済ませるという条件で。でもまだ、向こうの両親を説得出来ていない。  年明けちょっとしてワシは、いよいよ、ご対面に漕ぎ着けた。普通なら「お嬢さんを、私にください。」とか「必ず、お嬢さんを幸福にします。」とかなんだろうけど、ワシは違った。あろう事か両親の前で、テルッツを「お荷物」呼ばわりしてしまった。「この人は、私にとって重く大きなお荷物だ。でも、一生背負って行くつもりだ。途中で休憩するかもしれないが、必ず、また背負い直して歩いて行く。」と。両親は、開いた口が塞がらない、目が点になっていた。テルッツはワシの隣で、「利ちゃんと一緒に暮らしたい!」と言って泣いていた。  別の日、テルッツはまたワシの隣で泣いていた。今度はワシの両親のまえで。テルッツは、喋るのが旨くない、一生懸命喋ろうとすればするほど言葉が、涙に替わるのだ。でもそれ故に正直で隠し事が出来ない人間なのだ。ワシは、もうこの時にテルッツの総てを知っていた。「純真で、いつまでも子供のような涙を流す人。」たったこれだけ。ワシの両親にも、テルッツの涙の理由が伝わったようだった。1984年4月9日は、二人は、葛飾区役所に婚姻届を提出しにいった。ワンコイン企画今なら到着後にレビュー記載で入浴剤パインハイセンスプレゼント♪ノニジュースが苦手な人にオススメご新規様限定■初回限定1コイン■ノニ果実100%!ノニ錠剤ノニサプリメントの「おひさまサンサンノニ玉」【送料無料】おひとりさま1袋

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早稲田鶴巻町での生活

暮らし始めた部屋は、三階建ての二階、お隣さんは当時ヤクルト球団の一位指名選手夫妻、ベランダからは直ぐそこに早大弓道場が見えていた。冷蔵庫も無い生活だ。夜、余った鶏肉をベランダに出して置いたら凍ってた。二人でそれを持って互いに見詰め合って、「なんか寂しいね?」「うん。」季節は冬。生活も冬のようだった。  会社の帰り、ディスカウントショップで、がんばってガスストーブを買った。暖かかった二人の仲のほかにも、あったかい場所が出来た。今でも、このガスストーブは、ワシたちのお家の押入れに大切に残されている。「利ちゃんが、初めて買ってくれたストーブを捨てられる訳ないでしょ。絶対に!」大掃除の度に、必ずテルッツが、発する言葉だった。   この冬は寒かった。雪も降った。積もったりした。テルッツは寒いの嫌い。でも、雪は好きだった。夜中、ベランダの窓から外を見ていた時、不意に、「弓道場の前、足跡が着いてない。よーし、ワシが着けたろ!」と、言って長靴を履いて出て行った。テルッツは、悪戯な事を考えた時、自分のことを「ワシ」と言う。そうゆう時、十のうち九以上失敗する。案の定、「コケタ!痛い。」と言って真っ白になって帰って来た。だから、「気を付けな。」と、言ったのに。  少しずつ家財道具が増えていった。先ず、テーブルセットと食器棚をマルイのクレジットで、冷蔵庫もなんとか手に入れた。なんとか所帯らしくなって来た。早稲田界隈の探検にも出かけた。ワシは、ちょっとばかり早稲田には詳しかった。テルッツの手を引っ張って色んな処へ連れて行った。お使いの出来る場所、江戸川橋地蔵通り商店街。事務手続きの榎木町出張所。安くご飯が食べられる大隈通り商店街。これを食べればリップクリームいらずの「メルシー」のラーメン。そうだ、当時はまだここに早実があった。グランド坂の途中には安部球場もあった。高田馬場へ行く途中の映画館へも行った。「遊星からの物体X」だった。怖かった。

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緊急報告!

ワシは、めったにテルッツの夢は見ない。それは、何時もテルッツが隣に寝ていたからだ。    テルッツとワシは、畳の部屋で手を取り合って、抱き合って楽しそうにクルクルと踊ってた。テルッツは、冬物のいつもの赤いタータンチェックのパジャマ姿で、いつものショートボブをなびかせて。クルクルと。ワシは、テルッツの身体を心配して、「あれ、テルッツ病気治ったんだっけ?」    眼が覚めた。遺骨を見上げた。また、涙が溢れ出て止まらなかった。テルッツがくれたお誕生日プレゼントだと思った。   2010年11月26日午前6時30分、最高に悲しくてちょっぴり嬉しい54歳の誕生日の朝。

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次に二人が考えた事

8月2日、テルッツが、大喜びしてくれたあと益々二人は仲良くなった。毎日、一緒に帰った。仕事のかたずく時間が違っても会社の外で待ち合わせて、手をつないで。この時から、二十七年間二人は、何処へ行くのも何時も一緒、一緒の時は、何時も手をつないでいた。勿論、布団の中でもだ。   いつのまにか二人は、一緒に暮らしたいと思い始めていた。片時も離れて居たくないと思うのは、若い二人には当然だった。今の会社では、二人ともお給料が安いから、二人で暮らす為に会社を辞めて同業他社でステップアップを計ろうという事になった。けっこう大きな決断だった。83年9月21日、二人一緒に会社を辞めた。   一ヵ月後、二人一緒に別の会社へ就職した。テルッツは、今の自分の技術で通用するし、しかも給料が少し良いという理由で。ワシは、この会社の社長と掛け合って新しい技術をマスターする為、二週間、研修に出させて貰う条件を得た。そうしてワシは、この年の冬、早稲田に部屋を借りた。実は、この部屋、テルッツが探し当てたのだ。「新築だし、南側ベランダあるし、日当たり好いよ。でもちょっと家賃たかいよ。」なんて言ってた。当時、ちょこっと貯金があったのでなんとか契約出来たし引越しも出来た。引越しと言ったて、ワシが住んででいた実家の部屋から布団一組と弟に貰った蜜柑箱に乗るぐらいのテレビ一台、あとは、鍋、やかん、そんなところだった。なんにもなかった。そんな殺風景な1LDKの部屋に、テルッツは通ってきた。 「カーテンいるな。まだテーブルないけどテーブルクロスいるな。嬉しいなっと、二人でテーブルでご飯食べるの夢だったんだよー。食器棚いるな、あっ、そうだカーテン、テルが作ろっと。みんな作れるものはテルが作ろっと。」  あれもこれもと一日一日が過ぎて行き、やたら寒かったある日の晩、テルッツを送って行く途中、そう、あれはたしか穴八幡神社の前の坂道でテルッツが、急に「コブラ返り(こむらがえり)になった。脛が痛てー!」と言い出した。ワシは、「ははーん、こいつ帰りたくないんだな。」と、直感した。でも負ぶってやった。負ぶって駅まで歩く事にした。歩き始めてちょっとして、必死にしがみ付くテルッツに言った。「もうお互いの家の事も、関係ない。同棲するか?一緒に暮らすか?」すると抱きつく力が更に強くなって、ワシの耳に付いた唇から「うん!」と、小さな声で返事が聞こえた。ワシのジャンパーの右肩は、涙でべちょべちょになってしまった。  その週末、テルッツが、ニコニコしながら押しかけてきた。持って来たのは、自転車とミシンだけだった。 「オイオイ!まだ炊飯器も無いんだぞ!」

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急速に二人の仲が進展した頃

大事なことを書き忘れた。「主人とのあまーい恋愛時代の日記」には、その頃ワシがテルッツへ渡したメモ類が総て挿んであった。なんという几帳面さか。そうそう、のちの結婚生活で極たまに喧嘩をした時、「利ちゃん!あの頃の気持ちを忘れたの!テルは、利ちゃんがくれたメモ全部持ってるよ!」これには、流石にぐうの音も出なかった。     話をもどそう。大人の男と女だ、必ず四季が巡るように二人にも春がやって来た。初めて二人で朝を迎えた時、テルッツは恥ずかしそうに「オハヨッ」と優しく可愛らしく、ワシの耳元で囁いてくれた。ワシは、この時の記憶を一生忘れない。絶対に。それからの何時もの朝の二人の挨拶は「オハヨッ」になった。二十六年間、それは変わることがなかった。   83年6月、初めて「利ちゃん」と、呼ばれるようになった。二人で毎日のように通った「クラブハウス」というカフェで、「恋人?」「あー恋人さ!」「嬉しい!」何度も確認しあった。デビット ボウイの「レッツダンス」が、有線で掛けられまくっていた頃だ。   83年8月、会社の昼休み、お昼ご飯を一緒に食べたあと、テルッツの大好きな小さなアクセサーリショップへ寄った。「マリーノ」という名の店で、気のいいおばちゃんが、経営していた。テルッツは、そこでワシを、「恋人」だと紹介してくれた。常連であるテルッツは気安く話ができていた。おばちゃんもテルッツが、ちょっと気になる物があるとお金が出来るまで隠して置いてくれるほどだった。「あっ、そうだ。今日、好い物が入荷したのよ。これ見て。」と、出してくれたのが、18Kの指輪で小さなガーネットが、あしらわれてあって、ワシが見ても可愛いとおもった。テルッツも一目惚れしたようだった。「欲しいなあー。」「でも一万円で買えないじゃない。」と言って困っていた。「じゃあ、俺が一万円出すよ。」「えーー!それじゃ悪いじゃない、利ちゃんお金ないのに。」「大丈夫、今日は、たまたまお金持ってるんだ。買いな。」そしたら、おばちゃんが、「じゃ、  一万円で、二百円おつりあげる。」と言って負けてくれた。「ワイワーイ!嬉しいな、嬉しいなっと。」「利ちゃんありがとっつ、ありがと。」子供のようにはしゃいでくれた。人が、これ程喜んでくれるのを見たのは、初めてだった。この指輪は、テルッツのアクセサリーボックスの中に、今でも大切に保管されている。運動時の燃焼系ダイエットサプリメントとしてオススメです。ダイエット!〓【お徳用カプサイシンdeダイエット】.〓(3ヶ月分)3150円以上で送料無料♪今だけ限定価格!限定価格は21日(水)まで激安福袋ページの商品と同梱で送料無料ogaland_MD1本日最大ポイント3倍!運動時の燃焼系ダイエットサプリメントとしてオススメです。ダイエット!〓【お徳用カプサイシンdeダイエット】.〓(3ヶ月分)3150円以上で送料無料♪今だけ限定価格!限定価格は21日(水)まで激安福袋ページの商品と同梱で送料無料ogaland_MD1本日最大ポイント3倍!

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出会った頃 part2

某大手印刷会社の某事業本部の某部門で働いていたワシの職場に、1981年1月のある日、二人の「おねーちゃん」が見学にやって来た。で、その一人が、テルッツだった。「おねーちゃん」とは柄が悪い言い方だが、当時24歳のワシとって女性は、すべてアチラの対象。「下半身のお友達」だった。いい気になっていた。取引相手の会社の「おねーちゃん」(彼氏あり)と問題を起こしたり、同じ棟の別フロアの「おねーちゃん」と噂になったり、女子大生と関係を持っていたり、合コンで色んな「おねーちゃん」に声をかけたり、これが、全部同時進行だ。上司に叱られたよ。そりゃそうだ、上司を、取引会社へ謝りに行かせてしまったのだから。でも、クビにはならなかった。かねがね上司に「お前は、幹部候補なんだからしっかりしろ。」と、言われていたし、一年でかなりの人数を抜いていたし、一人だけ技術の英才教育を享けていた。後からきいた話だが、正式に入社した早々のテルッツに、以前ワシにフラレタ同僚の女性から「アイツには気をつけな。女癖悪いから。」と、吹き込まれていたそうだ。だから、テルッツは、入社後約二年ワシとは口を、利いていない。その間二回、社員慰安旅行があったが、その時も挨拶程度しかしていない。避けられてはいたもののワシは、凄くテルッツが気になっていた。今でも、目を瞑れば見学に来た当時のテルッツの姿が思い浮かぶ。強烈に眼に焼き付いているのだ。お洒落な髪、お洒落な服、可愛い眼鏡、ちょいと背丈があって、長い足。思い出すと泣ける。そんなこんなで、ついに我慢出来なくなり、初めは非常に不純な動機で声をかけることにした。色々策を考えた結果、ユニホームのポッケに内緒でメモを入れる事にした。これが、なんと大成功。テルッツは、ワシの存在を意識するようになった。その頃のワシは、たとえ先輩であろうと技術指導やミスの指摘をし、注意出来る立場にあった。で、その立場を利用しテルッツを呼びつける事が出来た。今で言えば、「パワハラ」「セクハラ」。なんという悪だったのか。おかげで何度もメモを、ポッケに忍ばせる事が出来た。あとは、お決まりの「お食事攻撃」「お仕事の後お誘い攻撃」「私は、本当は優しいのよ攻撃」「手練手管攻撃」。まー、堅かった。久しぶりに強敵だった。大抵の「おねーちゃん」は、この辺で、落ちるものだったが、この人には梃子摺った。だからこそ本腰を入れてがんばった。直ぐ落ちる女などはっきり言ってつまらん。この人には、本気を出して挑まんと。と、いつの間にやら本気で好きになってしまった。誠意の無い実に軽薄な男に「誠意」が、生まれてしまった。テルッツが、そうさせてくれたのだ。    テルッツは、ワシのその姿を敏感に感じ取ったのか、それまでの恋に終止符を打ってくれた。ワシも総ての身辺整理を終えた。不祥軽薄男二十六歳、一人の女性を、初めて本気で愛する事を知った時だった。      1983年4月11日 テルッツの「主人とのあまーい恋愛時代の日記」 第一頁 一行目。「テルミは、OO君と別れた。とても爽やかに別れる事が出来た。大人のOO君に感謝している。」 たったこの一節で、

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テルッツは、本当に心の優しく、思いやりのある女性だとあらためて認識した。                                                            

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出会った頃

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又、テルッツの日記が、出て来た。ビニール製のピンク色の表紙に錠のかかる物で、その鍵は、グリーンのフエルトで手作りされた小さな袋に入れられて、その日記の上に置かれてあった。「ごめんね。テルッツ。又、見ちゃうよ。ワシだから特別許してね。」そう言って鍵をまわした。表紙を、捲った直ぐ下の少し厚めのクリーム色の見返しに、「これは、1983年4月11日~1984年5月20日までの二人のあまーい恋愛時代を、書いたものです。テルの宝物です!」と、記されてあった。それは、ワシとの出会い、会話、デート、気持ち、プレゼント、戸惑い、如何にしてワシを愛するに到ったのか? テルッツの心の葛藤が、手に取るように解る物だった。今のワシを、一瞬にして当時へ連れて行ってくれる物だった。あの頃の記憶が、総て蘇った。又、号泣しタオルで顔を覆った。中の一説に、「これからは、この人をずーと愛して行こう!!」そう決心した処があった。     息をひきとる数日前まで「ありがとー。利ちゃん。愛してるよー。」そう言ってくれた。テルッツは、あの時からまったく気持ちが、変わっていない。いや、むしろもっと深く愛していてくれていたのだ。ワシこそ「ありがとう。本当にありがとう。テルッツ。」そう言うべきなのだ。

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今日も泣いている。テルッツの事を考えると自然に涙が、溢れて来てしまう。ちょいと落ち着いた所で押入れの整理を始めたらなんと、平成二年からのテルッツの日記が、出てきたよ。ビックリ!テルッツが、生前、書いていたのを知っていたけど、そのときは気にも留めなかった。ワシ(私)は、テルッツが、隠すように書いていたものを絶対に見たりはしない。たとえ、テーブルの上に堂々と置かれていても。第一テルッツが、「シミツ」(秘密の事)と、言っていたから。今、テルッツはいない。だからちょいと罪悪感はあったけど、読ませて貰う事にした。小さな大学ノート(可愛らしい)の表紙にちゃんとフルネームが、書いてあった。可愛くひらがなで書いてある物もあった。中をめくってみた。一行もまともに読めなっかた。文字を追う事が、出来ない。前にも増して涙が、溢れた。号泣だ。以前、癌告知を受けた後、テルッツにこんな事を訊かれた事がある。「テルは、利ちゃんに二十五年分愛されたかなー?」と。ワシは、即答したよ。「ああ、百年分も二百年分も愛してるよ。心の底から愛してるよ。」と。それがどうだ、テルッツの日記には、千年分も万年分もの愛が、残されていた。これこそが、「永遠の愛」と、言うものだ。もっともっと深く深く命の限りテルッツを、愛せていたら。悔し涙が、又、キーボードに。

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二十六年間連添った、今は亡き妻の愛称「てるっつ」

2010年10月23日、秋の夜空が、ようやく白んで来た午前5時06分、テルッツは、私の腕の中で静かに本当に静かに息を引き取った。その顔には、およそ一年間、癌と戦った「痛さ」「苦しさ」「辛さ」「先の見えないえもいわれぬ不安」といった表情は、漸く涙を拭うことの出来たこの眼で見てとれた。いつもの様に優しい寝息をたて、両肩を揺すれば「アレー!利ちゃん、もう朝なの。」と、飛び起きそうな可愛らしい寝顔だった。 「テルッツ、テルッツ、テルッツ!息をしろ!」何度も叫んだのに。私が、この世で、一切の不安、ストレスを、吹っ飛ばしてくれる言葉。テルッツが一寸甘えた声で呼ぶ、「利ちゃーん」を、二度と聴くことが出来なくなった瞬間であった。 1958年1月07日生まれ享年52歳。      キーボードが、涙で滲んで来た11月17日24時40分。又、落ち着いたらテルッツとの出会いから、闘病生活までを書き込みたいと思う。

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